-SPICE MAGAZINE 2018年4月号掲載-
旭川を語る上で欠かせない存在となった、「江丹別の青いチーズ」。その知名度は北海道だけでは止まらず、全国で根強いファンを獲得!
そんな江丹別の青いチーズを製造するのは旭川市郊外 江丹別在住のブルーチーズドリーマー伊勢 昇平(いせ しょうへい)さん。
今回は伊勢 昇平さんにインタビューしてきました。
プロフィール
1986年3月、旭川市 江丹別生まれ、江丹別在住のブルーチーズ職人。2011年に発売を開始した「江丹別の青いチーズ」は、JAL、ANAの国際線ファーストクラスの機内食に起用され、全国のシェフからも高い評価を得ている。また、旭川のふるさと納税ランキングで1位になるなど、旭川を代表する特産品になっている。
media出演
アイアンシェフ(フジテレビ)、みんなのニュース(フジテレビ)、ひるブラ(NHK)、おはよう日本(NHK)、今日ドキッ!(HBC)、どさんこワイド(STV)、カーナビラジオ午後一番(HBCラジオ)
インタビュー
「世界一のブルーチーズを。
そして、江丹別を世界一の村に。」
ーー簡単に自己紹介をお願いします
旭川郊外の江丹別で「江丹別の青いチーズ」を作っている、ブルーチーズドリーマーの伊勢昇平です。「江丹別をチーズ界のロマネコンティにすること」が目標。世界一のチーズを作るために奮闘中でございます。
ーー江丹別のあおい・・・ブルーチーズドリーマーってなんですか!?
ふふ、僕は「ブルーチーズで世界一になる」という目標があるんですが、それには様々な夢が込められているんです。世界一のチーズを作るのもそうですし、江丹別を世界一の村にする。そして、その江丹別で独立国家を作って最高な人生を歩むのが僕の夢です。
ーーなかなかやばい人ですね。では・・・江丹別の青いチーズとは?
江丹別の伊勢ファーム(牧場)で取れた牛乳を使用して製造したブルーチーズ。ブルーチーズって臭いイメージがあると思うんだけど、「江丹別の青いチーズ」は全然そんなことはありません。まろやかで食べやすく、しっかりと印象に残る、そんなチーズです。
ーーふむふむ、なぜブルーチーズを作ろうと思ったんですか?
まず、チーズの先進国であるフランスやイタリアなどのヨーロッパ圏内の中で、江丹別に気候が近い地域ではどんなチーズが作られているかを調べました。リサーチしてみた結果、フランス内陸部の「オーベルニュ」が江丹別と気候が似ていたんです。夏は暑くて、冬は寒くて、雪がいっぱい降って・・・ざっくりいうとそんな感じの場所で、そこの名産がブルーチーズだったんですね。それで実際にその土地のチーズを生産している現場を見て回ったんだけど、気候はもちろん、植物の種類だとか、牛の飼い方だとか・・・江丹別と共通点が多くて、「これはいける」って確信に変わりました。
ーー江丹別があってこそのブルーチーズなんですね
そうそう。自分が何を作りたいかよりも、江丹別で一番強くなるチーズ、江丹別という地域に合っているチーズというか・・・仮に江丹別でチーズの文化が何百年も続いた場合、「どんなチーズがそこの名産になっていたか」というのを考えるべきだなと思った。僕自身、ブルーチーズが好きっていうのもあるけど、あくまで江丹別でなら何を作るべきか、というのが第一にありました。
ーー商品名に江丹別を入れているのも何か理由があるんですか?
農産物で製造した商品に地域名を入れることは、ヨーロッパでは自然なことなんですよ。ご存知「カマンベール(チーズ)」だって村の名前だし、1本何百万もする「ロマネコンティ(ワイン)」もボーヌロマネという村の区画でコンティという所があって、そのまま名前になっている。それが世界中に広がり、ブランドになっているんだけど、農産物は本来そういうものだと思います。だからこそ、その土地の強さや面白さを伝えられるんですよ。
ーーそれでは・・・
(食い気味で)それで、チーズを作るときには地域名を入れることは決めてました。それでどういう事が起こるかというと、そのチーズを食べて美味しかったら「江丹別はきっと良いところなんだな」と思ってもらえたり、「江丹別ってどんな場所なんだろう」と興味を持ってもらえるきっかけになったり。そのモデルがさっき紹介したロマネコンティになると思うんだけど、「ロマネコンティ」と聞くだけですごい場所だと思ったりするじゃないですか?それがブランディングだと思うんです。僕は江丹別でそれがしたい!
ーー江丹別へのこだわりがハンパないですね
江丹別を世界一にするのも自分に課した使命ですから。でも、もともと僕は江丹別が大嫌いだったんです。高校時代には、「江丹別って電気来てないんだろ~」とか、「トイレは水洗じゃないんだろ~」みたいな、田舎なことをネタにイジられることが多々あって、【田舎=ダサい】と思ってました。当時、僕は人と喋ることがすごい苦手で、ファッションもダサくて、それもこれも「全部田舎で育ったからだ!」なんて、江丹別のせいにしてましたね。
ーーなぜ嫌いだった江丹別で世界一を目指すようになったんですか?
高校生の頃、「こんな田舎は嫌だ!俺は外ででかい仕事をしたい」という願いが強くなり、そのためには英語ができなきゃって思ったんですね。そこで友達に英会話の先生を紹介してもらったんです。その先生は「世界基準で生きろ」が口癖だったんですが、ある時に「お前の家、牧場やってるんだろ。その牛乳で世界一のチーズを作るのも世界基準だぞ」という話をされて、「それ、すごくいいな」って思ったんですよ。「それじゃあ、僕はチーズ作ります」ってところから僕のチーズ作りが幕を開けました。
ーー江丹別への愛はそこからなんですね
嫌いでしょうがなかった江丹別を、自分の手で世界一にできるのかもって思ったときにすごいワクワクしました。夢を感じて、すごい面白そうだなって。高校卒業後はチーズ作りを勉強するために、「帯広畜産大学」っていう十勝の大学に行って勉強してきました。
ーー大学でチーズ作りを学んだんですね
実は大学で勉強したかって言われたら、全然してないんです。大学の教授の授業でモッツァレラチーズを作る講義があったんですが、誰も成功しなかったんです。教授も「原因がわからない」なんてことを言い出して「大学の研究ってクソだな」って、大学に失望しちゃって・・・。
ーーあれ、そしたらチーズ作りの勉強は大学でしてないんですか・・・?
当時、大学って机の上で色々考えてるだけのすごいつまんない世界だと思っちゃったんですよ。今ではそんなことないって思ってるけど、当時の自分は「大学で学ぶことはないな」ってふてくされちゃって、本読んでチーズの科学的な仕組みとか、周りのチーズ作ってる農家さんのところに行って見学させてもらったり、手伝わせてもらったりで、大学に通ってるのに外でチーズの勉強をしてました(笑)
ーー思春期だったんですね
でも、その大学に理論的に云々言ってるのに実際には形にできない教授がいたから、今のアグレッシブさというか、「まずはやってみる」って行動力が身についたのかもしれないですね。考えるよりもまずはやってみるっていう体当たり主義は、そこで形成された気がする。
ーー大学を卒業した後は、すぐにチーズ作りを始めたんですか?
大学卒業後は、十勝のチーズ作っているところに住み込みで1年半働きました。そこもすごい面白いところで、精神疾患を患っていて働けない人たちが集まって自給自足をしているところだったんです。その中でチーズの勉強をして、一緒にチーズを作るって特殊な場所だったんだけど、そこの経験もなかなか濃かった。すっごい変わった人がたくさんいて、今思うと人付き合いの図太さみたいなのはそこでの経験が大きいかもしれないです。この働いてた期間で「自分は何つくるかなーっ」てずっと考えてて、江丹別に戻るときには「ブルーチーズを作る」ってことは決めて帰ってきてました。
ーーそこから「江丹別の青いチーズ」が始まったわけですね
始めは”我流”でブルーチーズを作ってました。今の作っているチーズとは全然違ってて、当時は中世ヨーロッパとかの『ブルーチーズの作り方』って古い本を参考にして色々模索してたんだけど、ビギナーズラックというか・・・作り始めてすぐめちゃくちゃ美味しいブルーチーズができちゃったんです。そこからすぐに販売を始めちゃったんだよね。
ーー販売を始めたのはいつ頃ですか?
2011年の春です。販売を始めたら一気に広まって、販売開始から3ヶ月目にJALから「ファーストクラスの機内食で使わせてくれないか」って電話がかかってきて、それがさらに口コミが広がって。飲食店の方々が「すげーブルーチーズが出てきた」って騒ぎたてて・・・
メディアはたくさんくるし、注文はたくさん来るしで生産なんて全然追いついてなかった。だから、僕は今まで売る努力ってしたことなくて、バンバン売れるし「これは俺、天才や」「俺の手は神の手だ」なんて思うわけですよ。
ーーそこから転落するパターンですね。ワクワク。
・・・。1年間は飛ぶ鳥を落とす勢いでブルーチーズを作りまくってたんだけど、ある時からいきなり、ブルーチーズに青カビが生えなくなっちゃったの。いきなりブルーチーズが作れなくなっちゃって、でも注文はとんでもない件数がきてるわけです。それを1件1件「ブルーチーズが作れなくなったので、発送できません」って電話をかけました。もちろん、「なんだそれ」ってなるわけだけど、ブルーチーズって熟成期間があるから、製造までに2ヶ月半かかるんです。すぐには作り直せないもんだから、とにかく謝ることしかできなくて。
ーーなぜ作れなかったのか原因はわかったんですか?
それが全然わからなかったのよ。とにかく生産を再開しようと頑張るんだけど、原因がわからなくて泥沼時代に突入。ブルーチーズを作り始めたらいきなり商品が完成しちゃったし、加えて我流だから、何がダメで何がうまくいってないのかが全然わからなくて。そしたら喜んでくれてた飲食店の人たちも「生産が安定しないなら使えないな」みたいになっちゃって、そしたら周りの人たちも「まぐれでうまくいってただけだ」なんてことを言うわけですよ。もう精神的にも超辛くて、僕の暗黒時代に突入です。
ーーその後はどのようにスランプを脱したんですか?
とにかく試行錯誤して、安定してブルーチーズを作る方法を模索しました。その期間が3年くらい。なんだけど、どうしても納得いくブルーチーズを作れなくて、「もう自分だけでは解決できない」ってなっちゃって。伊勢ファームをやっている親に「仕事を一年休んで、一からブルーチーズをフランスで勉強してくる」って言って、もう一度修行をするためフランス行きの許可をもらいました。チーズの製造を全部止めて、持ってるお金を全部ユーロに変えて・・・2015年から1年間フランスに修行へ行ってきました。
ーー修行といいますと・・・?
ちゃんと技術のあるところに行って「給料いらないから働かせてください」って突撃しました(笑)働かせてもらいながらいろんなことを勉強してきたんだけど、「こんな初歩的なことも知らなかったんだ」ってことがわんさかあって、ショックは受けたけど本当に来て良かったな、って心から思いました。ここで体当たり主義だった自分を振り返ったんだけど、自分が色々試行錯誤するのも大事だとは思うけど、やっぱり一人でやるのは限界があって・・・先人たちが築いてきた歴史だったり、経験だったり、失敗を学ばないのは間違ってるなって。
ーー俺の道を行くぜ!って尖ってた伊勢さんがフランスで丸くなったと
そもそも僕がブルーチーズを始めた時って、日本にブルーチーズを作っているところはほとんどなかったんですよね。競合がいなかったから発展もしなかったし、製造者の意識がすごい低くて。そして、始めっからヨーロッパとは環境が違うんだから、同じレベルのものを作るのは無理、ヨーロッパに敵うわけないっていうのが通例だった。そして、泥沼時代には「そうなのかも」って、「日本で美味しいチーズ作るのは無理なんじゃないか」って思ってしまってたこともあった。なんだけど、フランスで勉強してみて、理解度とか知識とか技術とかで足りない部分が単純に多すぎるだけで、それらが揃っていれば追いつけるって自信にもなったし、そこの部分で視野が狭かったなって今になってみるとそう思う。
ーー修行期間を経てどう変わりましたか?
帰ってからはフランスで学んだことを忠実に再現できるようになって、安定したブルーチーズを製造できるようになりました。もちろん、全く同じことをやってもダメなんだけど、失敗したときに「何がダメなのか」をしっかりとわかるようになった。当たり前のことなんだけど、それが今までできてなくて、それができるようになった。今も課題はあるんだけど、「じゃぁ次はこうしてみようか」っていう目標を出せるようになったのがもっとも大きな違いでしたね。
ーーなるほど、可愛い女の子を追いかけていたわけではないんですね
フランスには”チーズ熟成士”って言う、出来上がったチーズにオリジナルな熟成をかける人たちがいるです。フランスでチーズの熟成士の仕事を間近で見れたのも大きく影響を受けました。今、僕が一番力を入れているのが”熟成”なんだけども、酒粕でのチーズ熟成だったり、ワインの熟成だったり、色々なオリジナルを生み出せたのも、フランスに修行にいったからこそですね。
ーー今後はまた新しい熟成も考えているんですか?
これはまだ研究段階なんだけど、カカオを使った熟成方法を試しています。詳細は今の所秘密なので、これからを楽しみにしててください。
ーーちなみに、江丹別の青いチーズがこれほどに有名になって、江丹別に変化はありましたか?
以前じゃ考えられないんだけど、「江丹別で何かしたい!」って人が徐々に集まってきてます。最近で言えば、某有名ホテルのシェフが江丹別で飲食店を開きたいって、今話を進めているところですね。
ーー江丹別はどんな街にしていく予定ですか?
江丹別にきて、チーズを買って、ご飯を食べて、泊まって・・・。江丹別をしっかり堪能できるような、江丹別そのものを楽しんで幸せを感じてもらえるような街にしていきたいです。
ーー夢を持たない若者が多くなっていると言われてますが、そんな人たちにメッセージを
人って何かするときに得意なことをしたがる傾向にあると思うんだけど、それだけが可能性じゃないってことを俺は言いたい。「コンプレックスは個性なんだぞ」ってことをとにかく伝えたい。人って誰しも苦手なことがあるじゃないですか。それって人と違うってことで、人と違うってことはすごい貴重なことで・・・みんなが同じだったら、いくらでも代わりがいるってことなんですよ。いかに自分が人と違うか、ってことを磨いて行けば、その人だけのオンリーワンになると思いますよ、僕は。
ーー伊勢さんが言うと説得力がありますね
少なくとも、高校時代に江丹別をバカにしてた人らは、誰もそれが強みだなんてことは微塵も思っていなかったはずです。だけど、今になってみればその環境が羨ましいって言われるわけです。チーズでその可能性を広げられたこと、そしてマイナスだった要素をプラスに変えれたってのはすごい自信にもなりました。だから、人と違う人とか、変人とか見ると俺はワクワクする。人と違うって言うのはその人次第で、いかに普通の枠からはみ出るかって一線を飛び越えちゃえば、はたから見ると変人なんだと思うんですよ。
ーーそれでは、我こそは変人なり!という方は、ぜひ江丹別に来て欲しいですね
夢を追う変人を僕は心待ちにしてます。一緒に面白いことをやりましょう!
ーーありがとうございました
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