-SPICE MAGAZINE 2018年7月号掲載-

旭川出身の芸能人といえば、玉置浩二さん、とにかく明るい安村さん、さらには最近女優の山賀琴子さんやモデルのemma(エマ)さんなど、旭川出身の芸能人の方達が増えてきました。

そんな中で実はもう一人、ひょうきんすぎる旭川出身のお笑い芸人の方がいるのをご存知でしょうか?

その名も”新宿カウボーイ かねきよ勝則”さん。

今回は、まさかの芸能界の裏話や、お笑いコンビ”新宿カウボーイ”の昼ドラも顔負けな結成秘話まで、紙面では載せきれなかったロングインタビューを大公開です!

あの”例のギャグ”も、「格好つけてみた」とご本人も語るドヤ顔ver.で、こっそり公開しちゃいます!

プロフィール

かねきよ勝則(かねきよ かつのり)
1978年生まれ、北海道旭川市出身のお笑い芸人。
2006年2月、お笑いコンビ【新宿カウボーイ】を結成。
主なメディア出演履歴:さんまのお笑い向上委員会(CX) / とんねるずのみなさんのおかげでした(CX) / ダウンタウンのガキの使いあらへんで!!(NTV) / 爆笑レッドカーペット(CX) / エンタの神様(NTV) / 笑点(NTV) など

ロングインタビュー

はじめに


—今回はお笑い芸人の方がスパイスに来てくれました!まずは自己紹介をお願いします。

こんにちわんこそば!!
【新宿カウボーイ】というコンビでやっています、”かねきよ勝則”です。旭川市出身です!

—ということでまずはおかえりなさい!地元に帰ってくるとやっぱり気分は違いますか?

生まれ育った街はやっぱり落ち着きますね。ここに座っているだけでも地元と思うだけで良いもんですよ!自然も多くて食べ物がおいしいところも旭川の良いところですよね。

—旭川に帰ってくると結構声を掛けられるんじゃないですか?

4〜5年くらい前から声をかけてもらえるようになりました。ただ二言目には「どうして旭川にいるんですか?」と言われて・・・。知ってくれているだけでめちゃくちゃ嬉しいんですが、でもやっぱり地元はここだということも知ってもらいたいですね!

お笑い芸人を目指したきっかけ、そして憧れた漫才の聖地へ


—では早速ですが、お笑い芸人を目指したきっかけを教えて下さい

うちの実家は寿司屋だから
(末広にある『清浜』というお寿司屋さんはかねきよさんのご実家です)
幼い頃から「自分は実家を継ぐ」と言っていたんです。でも高校一年の時に、二年上の先輩が大阪のNSC(お笑い養成所)に行くという話を聞いてね。初めは「そんな場所に行く人がいるんだ」って漠然と思っていただけなんですけど・・・なんか先輩の話に触発されちゃって「自分もお笑いをやりたい」という思いが突然出てきたんです。

—周りの方にはかなり驚かれたのでは・・・

そりゃあねぇ~。学校の先生っていう夢もあったけど、どうしても「お笑いがやりたい」って気持ちが消えなくて。だけどそれ、ずっと親に黙ってたんです。
でも高校3年の夏のある日、うちの親がお店終わって一杯飲みながらちょうどバライティー番組を見ていたので「実はこういう世界に行きたいんです」って土下座して、泣きながら二年間の溜め込んだ思いを伝えました。

—親御さんの反応は・・・?

母親はもともと東京の人間で、芸能文化にたくさん触れてきた人というのもあって理解してくれました。ただ父親には断固として反対されましたね。。なので母親に間を取り持ってもらったりして・・・そしたら3ヶ月後に「10年やってダメなら帰ってくる」という約束でやっとOKをもらえたんです。

—そこからのかねきよ青年はどんな行動を起こしたんでしょうか?

漫才がどうしてもやりたくて、漫才=関西だという一心でとにかく大阪に行きたいっていう思いがあったんです。当時通っていた南高校から自宅までの道のりを、友達と「いや~しかしあれやな~」とか言って話せもしない大阪弁ごっことかしてたくらいだから(笑)
ただ「芸人になりたいから行きたい」だけでは納得してもらえないなぁと思って、放送芸術学院という俳優や芸人になるための技術とかを教えてくれる専門学校に通うことにしました。

—そしてついに念願の大阪に上陸したわけですね

そうなんですよ!でもね、講師の先生に「どの芸人目指してんねん」と聞かれるんです。それで素直に大好きな「爆笑問題になりたいんです」と答えたら「なんで大阪来てんねん!関西の芸人ちゃうやろ!」と突っ込まれたりしてね。
結局自分がやりたいことに、決して安くはない学費を払い続けてもらうのは気が引けて学校は一年通って辞めました。それからは吉本のなんばグランド花月という劇場で裏方の仕事を始めましたね。

—では芸人人生の始まりは裏方さんからのスタートだったんですね

ですね。始めは出番の芸人さんを呼びに行ったり、小道具を用意したりっていう要は雑用係からでした。だから当時は

・一日中動き回って日給3000円
・給料月8万
・家は風呂なし三畳一間の22000円のボロアパート

でも自分のやりたい事をやってたわけだから、親には迷惑かけないようにと思いながらやってましたね。

人生のキーパーソンとも言える人物との出会い


—華やかな世界の分、苦労も人並みではなかったのでは?

色々ありましたね。「もうお笑いはダメかも」と思ったことも何度もありました。でもそんな僕がお笑いを辞めずにここまでこれたのは師匠である島田洋七氏の存在があったからです。

—そもそも島田洋七氏と出会ったきっかけは何だったんでしょうか?

僕がなんばグランド花月の進行係をやりだした時に初めて目の前でB&Bの漫才を観たんです。その舞台袖で見た漫才がもうとてつもなく面白くて!それからというものの、自分が持ち回りの仕事じゃない時でもB&Bの出番の時は舞台袖に見に行っていたらある日、洋七師匠に声を掛けてもらえたんです。それでかばん持ちするようになり、付き人としてマネージャーのように動くときもありましたね。

—では洋七師匠とはかなり長いお付き合いになるんですね

そうですね。僕がお笑いの右も左も分からなかった頃からですからねぇ。でも少しずつテレビに出させてもらえるようになると「お~!あれ見たぞ!おもろいやないか!」と言ってくれるんです。それが嬉しくて、師匠に報告できる仕事をもっとやりたいな、という思いでずっとやってました。

付き人する時って、4日間付きっきりで移動したりするんですよ。日程をこなし終えて師匠が佐賀へ帰る時って羽田空港でお別れになるんです。でも毎日一緒に居たもんだからなんだか寂しくなっちゃって。思わず気持ちが出て「なんか、寂しいですね」って言ったら師匠が一言「・・・俺もや。」って。

—遠距離恋愛の別れ際みたいですね!!

自分の仕事で行った先で「ここ師匠と来たなぁ懐かしいなぁ」とか「ここで師匠と飯食ったわー」とかそういう思い出が蘇ってくるんですよね。

—本当に恋愛の思い出みたい(笑)

地方の会館とかに行くと、いつもは師匠を送り出す場所なのに、今度は自分がもらった仕事で舞台に出ていく。その瞬間は感慨深いですよ。

そんな師匠と4年前に『中居正広のミになる図書館』という番組で共演することが出来まして。師匠と隣り合ってスタジオで座った時に「まさかお前と一緒にテレビに出る日が来るとはな。」って師匠がボソッと言ったんです。その時はぐわーっと胸にこみ上げるものがありましたね。僕も同じ思いだったし、その時で出会ってもう17年くらい経ってましたから。

—なかなか他の人は味わえない感動的な体験ですね

そうですね、洋七師匠には本当にいろんな事を教えてもらっているし、おかげで僕の人生も変わってますからね。僕がお笑いを続けるかどうか、師匠には相談せずに悩んでいた時があって。ある日の移動中の新幹線で師匠が突然

洋七師匠
この世界入って何年になる?
そうですね、もう12〜13年くらいですかねぇ
洋七師匠
長いことやってんなぁ?まぁあかんかったらあかんかったで寿司屋やったらええがな。別にお笑いだけが全てじゃない。カウンターで寿司を握りながら芸能界の裏話も話せる日本一面白い寿司屋になったらええがな!

と何かを察しているかのように言ってくれたんです。その師匠の言葉がすっと入ってきて、思い詰めていた気持ちが楽になったんですよね。あの言葉がなかったらお笑いは辞めていたかもしれません。

—人生の岐路におけるキーパーソンとも言える方ですね

まさにそうですね。とても楽観的な師匠で、その感覚に影響を受けて僕の人生も変わったように思います。

「人生楽しんだらええがな、もったいないぞ」
「人はいつか死ぬんだから楽しめ」

っていうのが師匠の口癖で。

師匠は漫才やったりテレビに出ているだけじゃなく、こっちが思わず驚くようなことを次々する人なんです。『佐賀のがばいばあちゃん』という本こそベストセラーになりましたが、突然映画作ったり、歯磨き粉作ってみたり・・・。でもそれにはもちろん意味があって
”自分がどんどん動いていって何かやることで、たとえ結果はダメでもやってるときは楽しいじゃないか。結果じゃなく、やった過程があるからこそまた違う出会いや仕事を生むんだ”
という師匠の人生観がそこにはあるんですよ。その精神が僕の中にはある。だから僕も新しいことをこれからたくさんしていきたいなぁと思いますね。

「僕のために解散してください!」衝撃の略奪愛、そしてコンビ結成へ


—キーパーソンといえばもう一人、相方の石沢さんも大事な一人ですね

今の相方は8人目くらいですね、2ヶ月くらいで解散したとか一瞬のも入れてね。今のコンビは13年目に入ったところ。その前が4年、2年・・・
あ、2日っていうのもあります!

—えっ?2日、ですか・・・?

そう、あっちから「かねきよさんとコンビ組みたいんです!二人でやれば絶対売れると思うんですよ!」って言うからネタ合わせしてみたんですよね。でも次の日に「色々思ったんですけど、やっぱりかねきよさんとやっても売れないと思う」って(笑)

「てっぺん目指しましょうよ!」まで言ってたのに、2〜3時間やっただけで「なかったことにしてください」とまで言われて!そう考えたら今のコンビは続いてますよ、一番長いですから。

—そんな相性抜群な今の相方さんとはどこで出会われたんですか?

もともと二人とも別々のコンビを組んでたんですが、僕の方がまず解散したんです。で、コンビを組む前から今の相方とは週三回、お茶だけで3~4時間は喋る間柄だったんで、その時に解散したのを報告したんですね。それと同時に密かに抱えていた思いを伝えたんです、「二人で組みたいんすよ」と。

—親御さんに思いを伝えた時とシンクロしますね

で、当時相方はまだコンビ組んでたんだけどそこは解散してもらって・・・

—衝撃の展開!!

相方がいたコンビに入るという案もあったけど、この時ばかりは次の相方を最後にしようとしてたから後悔したくなかったんですよ。上手くいってもいかなくても自分の納得する形にしたいと思ってて。だから「コンビ解散してください、解散してくれないなら僕は別の人を探します」と話したら解散してくれたんです、略奪愛ですよ。
実はその時がちょうど親と約束していた丸10年の節目だったんです。

—昼ドラも顔負けのエピソードじゃないですか・・・

親との約束があったから父親に電話して「実は今、新しい人とコンビを組んだところで、その人とだったら何だか出ていけそうな気がする。約束してたタイムリミットだけど、もう少し期間を伸ばさせてほしい」と言ったんです。そしたら「10年の約束を覚えていただけで十分嬉しい。じゃあ頑張りなさい」と言ってくれたんです。そしたらそれからちょこちょこテレビに出れるようになったんですよ。

—運命的すぎて思わず鳥肌立ちました・・・!そんなすごいコンビ「新宿カウボーイ」という名前の由来は?

僕がコンビ名に地名を入れたくて「東京」って付けたかったんですけど、東京03さんとか東京ダイナマイトさんとか、結構「東京」と付くお笑いの人って多いんですよ。

で、さっき話したよく二人でお茶をしていたのが新宿にある喫茶店なんです。相方はお酒が飲めないからね。「新宿」なら全国区だし、いいなと思って。

で、コンビ名後半は相方に委ねたら、爆笑問題さんのラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』から取ろうという話しになって「カーボーイ」をそのまま取るとパクリっぽさが強いのでじゃあ僕たちは「カウボーイ」にしようと。

—それって爆笑問題ご本人たちは知らないということですか?

それがねぇ~数年前、爆笑問題の田中さんと飲む機会があって報告したことがあるんです。

—それだけで胸が熱くなりますね!

そもそものきっかけは、爆笑問題さんが司会を務めた漫才大会に出させてもらった時に、「お前ら面白いな!」と声を掛けてもらえて、その日のラジオの生放送でも「今日何組か出てるの見てたけど、『新宿カウボーイ』が一番面白かったなぁ」とも言ってくれたんですよ。そりゃあ自分たちのネタ中は爆笑問題さんの楽屋に思わず意識が向いてしまっていたくらいだから嬉しくて。

で、田中さんと飲んでいる時に「実はお二人のラジオ番組からコンビ名を取ってるんです」と話したら、それを太田さんにも伝えてくれたようで。そしたら太田さん、ラジオで「別に言ってくれたらいいのに!」と快く言ってくれたんです。

—それだけでも一生いろんな人に自慢できるくらいのエピソードですよね

そういうこと一つひとつの積み重ねで「嬉しい、頑張ろう」が更新されていくんだよね。だからつらい事やくじけそうな事があっても、こういう出来事一つで頑張る活力になっちゃうんだよなぁ。

お笑いをやっていく上での苦悩、その先にあるものとは


—お笑いをやっていて「つらいなぁ」と思う時ってどんな場面ですか?

そりゃあスベったときってこの世の終わりかと思うくらいつらいよ!大好きな子にフラれるよりしんどいです。その日のお酒は美味しく感じないし、何にも喋りたくないし、やけ酒ですよ。今までもライブのアンケートに「『新宿カウボーイ』が出るんだったらもうこのライブは来ません」と書かれてたり、舞台に出てったらお客さんみんな下向いてたりとか、もうボロクソでしたよ。

—うわぁ、それはつらい・・・

でも上手くいった日は何してる時よりも気持ちいいんですよ。テンション上がるしその日のお酒も格段に美味しいんです!
ダメなことがあって一週間くらい心のどこかでモヤモヤしながら過ごしてたとしても、そのあと別の仕事で結果が出るとそれで全てが解消されるんですよね。
それに誰しも失敗はするんです。昔スキー学校のインストラクターの先生が「スキーは転んで上達するもの。だから転ぶのを恐れずやりなさい」と言ってくれてね。でもその教えはスキーだけじゃなくいろんなことにも言えることだと思うんです。

僕の仕事だったら、時にはスベったりすることもある。でも反省して対策をとるでしょ?その対策が上手くいったら、スベったこともプラスのことに昇華できる。マイナスの結果で終わらせてしまうとつらいままだけど、次の糧にしていって次の時に取り返せればオールOK!・・・って思うようにしています。自分で自分を洗脳ですね、そうしないとたぶん死んじゃいます(笑)

—自分の心との戦いでもありますね

確かにね。でもどんどんハートも強くなっていくもんですよ。もちろん緊張するし、お客さんの空気だって出ていくまで分からないから不安もあります。例えばお笑いライブは天気も関係していて、当日雨が降るだけでお客さん全体的にどんよりしちゃってたり、逆に暑い日とかだとちょっと座っただけでゆったりしちゃってたりとかがあるんです。だから同じネタでウケるときもあれば上手くいかない時もあるんですよ。でもそれが面白かったりする!

—しかし思ったようにいかないと「もう投げ出したい!」って思ったりしないですか?

それはねぇーぶっちゃけありますよ!あるんだけど・・・でも「もうダメかも」と思った瞬間にとんねるずさんの番組に出演が決まったり、さんまさんの番組決まったりとか、諦めかけた瞬間に、芸人人生の中での大きな仕事が更新されてきたんです。テレビの仕事に限らず「ハードル一個越えたな」「あーやっぱりこの世界にいてよかった」って思えることが起きる。一生芸人をやっていくならその繰り返しなんでしょうね。

自分に起こっていることは全て思い出作りですからね、だから何事も過程ごと楽しまないと!これこそ洋七師匠の教えでもありますからね!

—思い出作り、そう思うとどんなことでも楽しめる気がしますね

そうでしょ?そう思うとあんまり緊張しないで済むんです。なかなか経験できないことをさせてもらえる仕事だから、大きい番組に出るとなると「結果出さないと~!」って力んじゃって勝手に自分でプレッシャーかけちゃうんですよね。

以前「華麗なる一族」っていう木村拓哉さん主演のドラマに出た時にちょい役だけどレギュラーで出させてもらったんですね。芝居の中で木村拓哉さんの腰を持つシーンがあったんですよ。キムタクさんの腰、触ったことあります!?そんな経験が語れるだけでも人生のとんでもない思い出でしょ!?だって会ったことあります!?目の前にいるんですよ!

—旭川にはなかなかそんな人いませんからね!安直な言葉になってしまいますが、本当に夢があるお仕事ですね

笑点に出たときは、ネタが終わってお客さんから拍手をもらっているときに「俺、笑点でネタやったんだぁ・・・」ってしみじみしちゃって。だって昔から放送している誰もが知っている番組でしょ?走馬灯のように旭川出てきた時のこととか一気に蘇ってきたんです。いろいろあったけどついに笑点に出れたんだ、、って思ったら泣きそうになっちゃってね・・・そこはぐっとこらえたけど・・・
だって笑点出たことあります!?

—ないです!見たことしか!!!(笑)

こういうことがいっぱいあるから、さっきも言ったようになぁんか辞められないんですよね。「また一本取られちゃったなぁ」みたいな!

仕事だけじゃなく、土田晃之さんに旅行連れてってもらったり、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんに飲みに連れていってもらったり・・・。10日空いただけで「久々ですね」って言うくらいの感覚でしょっちゅう飲んでます、週一とかですね。最近こそ、その日常が当たり前になってきましたけど、よく考えたら「俺、上島さんとお酒飲んでるわー」ってふと我に返るんです。客観的に自分の状況を考えるとなんか信じられないなって。冗談言い合ったり、お笑いの話もしたり・・・。だって上島さんとサシで飲んだことあります!?

—ないです!(テレビで)見たことしか!!!(笑)

この前も上島さんに今度出る番組のことで相談したんです。収録行く数日前だったんで「どうしたらいいですかね~」と。そしたら飲み終わったあとに珍しくメールが来て
「そんなにうじうじ考えないでとりあえず何でもいいからやってみろ」って言ってくれて。「頑張れよ」っていう意味合いでね。

—私の方が感動して泣きそうです・・・

嬉しいですよね。世間から見たら上島さんってどうしても「リアクションの人」っていう印象で、そんなこと言うイメージじゃないかもしれないですけどね!でも実際の上島さんはそういう言葉も掛けてくれる人で、僕がリアクション系の番組に出るときも「上島さんだったらどんなふうにリアクションするのかな」って参考にしたり相談したり。

—どんなお仕事であっても、相談できる人がいるというのはとても重要ですよね

なんかいい経験させてもらってるな、しかも楽しいなって急にミーハーになっちゃうんです。「自分がすごい」んじゃなく、「すごい状況だな」って。贅沢な人生の思い出作りさせてもらってますね。
まぁでもお笑いって僕が始めた時とはやっぱり変わってきてるんです。芸人の数も多いし。自分でも「これならユーチューバーになったほうがいいんじゃないか」とか思う時があるくらい(笑)表現の方法とかやりたいことを発信できる機会が増えてきてますよね。そんな時こそ相談できる相手というのはさらに重要な存在になってくるのではないかなぁと思います。

—確かに今はSNSだけでなく17Liveとかの動画配信コンテンツも増えてますからね

自分で自分をプロデュースできる時代ですからね。

—自分でプロデュースといえば、かねきよさんはプライベートも上のお洋服は赤なんですか?(この日も衣装ではない赤のシャツに白のパンツでした)

そうなんです!衣装と同じ色合いにしようってことで上は赤、下は白と決めています。

—それは『新宿カウボーイ』結成当初から?

いえ、元々プライベートでは普通の格好をしていました。でも以前、電車に乗っていたら「新宿カウボーイと博多華丸大吉って面白いよね」って話してる男の人三人組がいて。まぁそもそもどうしてそんな両極端な二組を推してるんだって感じですけど(笑)
で、その三人組が居た方が降り口だったから「あ、どうも『新宿カウボーイ』です」と声をかけたんです。そりゃあいま話しに出してた芸人が目の前に現れたんだから喜んでもらえるんじゃないかと思ってね!「あぁー本物だ!」っていう返事がくるものだと構えてね、「どうもどうも、ご本人ですぅ~」くらいのノリでいったんですよ。

そしたら普通の格好のせいで、「・・・なんですか?」みたいな顔してるの。もうそこですごい恥ずかしくなっちゃって。

んでその話しを2年くらい前にトークライブで話したら「お前はプライベートも衣装着てるくらいがちょうどいいんだよ」っていう話になって。だからもうその日は「衣装で帰る」と言ってそのまんまの格好で帰ったんです。そしたら一気に「あっ!」って気付かれる確率が上がったんですよ!でも衣装をずっと着てるのは着回しとかも大変なんで、せめて色合いを一緒にしようってことで、上は赤、下は白を着るように今はしてますね。

—なるほどですね、参考がてらメモしたいんで胸ポケットにあるペンをお借りしてもいいですか?


あぁ~すいませんこれペンじゃないんですよ、たわしなんですよ~
(何度目かのフリにも関わらず毎度全力なかねきよさんの神対応)

—よっ!出ましたっ!!本当にありがとうございます(笑)

「さんまのお笑い向上委員会」という番組で振ってもらったこのネタ、どんな時に振られても良いように持ち歩いてるんです。いつかさんまさんに振ってもらえるように、と思ってギャグをたくさん考えてきたから、その夢がひとつ叶った時って本当に感動しましたしね。
お客さんが30人くらいしかいない会場でやってたフリを、さんまさんがやってくれたんです。だからこのやりとりがいつ何時あってもいいように胸ポケットのある服じゃないとダメなんです!今日のシャツの胸ポケットも後付けです!

—確かにあまり見たことのない組み合わせだなぁと思いました(笑)

冬はダッフルコートにも胸ポケットが必要だなと思ってね、探したんだけどそんなデザインはないんですよ。で、裁縫屋さんに「ダッフルコートに胸ポケットをつけてください」とお願いしたら同じ生地のポケットじゃないと変ですよと言われて。「裾切っていいんでその生地からポケット作ってください」と頼んだら「普通ダッフルコートにポケットはつけないですよ?」と何度も確認されて、、こっちも説明すると長くなるから「いえ!事情があって!」と引き下がらずにいたら、ものすごい首傾げながら作ってくれました!帰る時にも「もう一回聞くけど本当にポケットつけていいんですか?」と心配されたくらい。

—もはやペンもポケットも自分の化身ですね・・・

それこそ前に帰旭した時も、さんろくで大学生くらいの男の子たちが「ペン貸してくれないっすか?」と来てくれて、そのとき例のダッフルコートを着ていたんですよ、作った甲斐がここでね!「これペンじゃなくてお好み焼きのヘラなんです」とやったら「うおぉー!!普段も持ってるんすねー!!」とすごく喜んでくれて嬉しかったですね〜!

でも先日飛行機に乗る時、いつものようにポケットに挿してたんです。その日もお好み焼きのヘラをね。そしたら荷物検査の時にそれだけすっかり外すのを忘れてて、もちろんゲート通ったら引っかかったわけですよ。そして丸い探知機でチェックされてる時にね、胸のところでピーっと鳴るんですよ・・・「すいませんお客様、そのペンも・・・」と言われたからこれは!完全なるフリ!!と思って

「これペンじゃなくてお好み焼きのヘラなんですよ~!!」

と満を辞して言ったら

「あっはい、じゃあこちらに置いといてくださーい」

と普通に塩対応。恥ずかしかったなー。

—では旭川でかねきよさんをみかけたらいつでもそのフリをして大丈夫ですか?

もう是非ぜひ!全国どこで振られても大丈夫です!ガンガン来てください!!

地元『旭川』に対する熱い想い

—旭川にもお笑い芸人という夢だけではなく「叶えたい夢があるけど動き出すにも手間・お金の関係で行動に移せない」という子がいるんじゃないかなぁと思うんです

うーん・・・なんだろうなぁ。当時のこと思い返してるけど、あの時は一ミリもそんなこと考えてなかったなぁ。「どうやって行ったらいいんだろう、行き方わかんないや。」くらいの気持ちならそれはやらないほうが良いっていうことなんですよ。本当に叶えたくてたまらないことなら、自然と次々に進めれるものですよ。僕の場合で言えば旭川を出る前、大阪市の採用試験受けてでも大阪行きたいとかっていうのも考えてましたからね。とにかくやってみて、もしつまずいてしまってもそれも人生経験の一つだから、どんどん自分で動いてみよう!ってことですね。

—今後の展望はありますか?

僕、地元大好き人間なので人生どうなったとしても最後は旭川に住みたいっていう気持ちがあるんです。同じ北海道出身の芸人さんからも「お前は北海道とか地元がすげぇ好きだよなぁ」って言われるくらいです。だからそんな愛すべき地元で「いつかなにかやりたいな」って考えてるんですよ。なので公会堂でやったライブであったり、5月20日のイオンモール旭川西でのライブなどでその思いが少しずつ形になってきたところですね。

5/20、イオンモール旭川西でのライブにて。
まさかのエスカレーターから登場!

—東京に行かれてからもなお地元愛を忘れずにいてくれているんですね、私たち旭川民としても嬉しい限りです

とにかく明るい安村くんとか、旭川出身の方ってたくさんいるんですけど、もちろん僕もそうやって旭川の代表、顔になれたらいいなって思いますね。ただコンビ名「新宿カウボーイ」ですから東京に侵されてる!と言われてもしょうがないんですけど(笑)自分の活動で旭川の街を活性化できたらいいなぁと思っています。

—ちなみに旭川に帰ってきたら必ず行くお店ってありますか?

そうですね~まず末広にある「寿し処 清浜」っていうお寿司屋さんですかねえ・・・(※ご実家です)
ちなみに今年の11月で自分の父親が辞めて、職人さんに継いでもらうことになったんです。でも皆さん今後ともよろしくお願いします!仕出し料理もやってますんでね、ぜひご利用ください!

SHOP INFORMATION

清浜

住所

北海道旭川市末広1条6丁目1-28  Google Map

営業時間

11:00~14:00/17:00~22:00

定休日

水曜日

電話番号

0166-51-6262

駐車場

あり

僕自身は10代の時に旭川を出てしまったので、馴染みのお酒のお店とかっていうのはあまりなくって・・・。でも加藤ラーメンさんの麺が好きですね。東京のラーメンとはやっぱり違うんですよ~。やっぱり旭川はいいところです!!

さいごに


—今回は本当にありがとうございました!最後に、SPICE読者、そして夢を追っている若い子たちへメッセージをお願いします!

自分がやりたいと思うことは素直にやって、強い気持ちさえあればたとえ困難があってもクリアすることができるから夢に向かって頑張ってくだカバ・・・あ、くだサイ!サイとカバで間違えちゃいました!テイテイツー!!ってやつですね。ふざけるならこっちにしてくだサイ!!紙媒体も兼ねての取材、難しい〜!!

いかがでしたか?

ボリュームたっぷりでお送りした今回のスペシャルインタビュー。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

SPICE編集部では、夢を追って活躍している方、また何かを成し遂げている最中!という旭川の方を応援しております!


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