-SPICE MAGAZINE 2018年9月号掲載-
SPICE創刊号にて「旭川No.1パーティーロッカー」として登場した”DJ Mr.SYN”。
そして今もなお、止まることなくフィールドを広げて活躍するミスターへ、ついにロングインタビューを敢行!
今まで多くは語られてこなかった意外な過去、そして今も現役として伝説を作り続けるその姿。
全く生活感を感じないミスターが考えていることとは?DJ以外の顔とは?
ベールに包まれていたミスターの素顔に迫るピックアップです!
contents
プロフィール
DJ Mr.SYN/橋本 心
北海道から日本全国、そして世界へ発信し続けているDJ。
また飲食店やCLUB経営・不動産業において運営アドバイザーを務めるなど、多彩なフィールドで活躍している。
地元北海道での認知度は特に高く、現在は主に札幌KING XMHU(キングムー)でのDJプレイの他、旭川をホームとするバレーボールチーム「ヴォレアス北海道」のオフィシャルDJとして、試合をさらに盛り上げるエンターテイナーとしての顔も持つ。
デジタルレコードプールDJcity JAPANではMusic Advisorを担い、毎月DJcity TOP50のMixを配信中。
彼が持つ多彩な顔
ーーSPICEに最多出演であろう方の登場です!
創刊号にも出てるし、これで3~4回目くらいかな?覚えてないくらい!
ーーでは早速ですが「DJ Mr.SYN」の顔しか知らない方が多いかと思います。しかし実は様々な事業をされているそうですね。
旭川市内でヤミーズダイナーという飲食店をやっています。
あと3・4仲通りにあったMONARCH(モナーク)や、移転した今のMONARCHも名義は自分ですね。そのほか内装業や、世界規模の不動産フランチャイズである「リマックス」で不動産業もやっています。それとDJかな。
ーーたくさんありますね・・・!どれもそれぞれ違う顔で二足のわらじどころか・・・
やばいよね、何足履いてるんだろう(笑)
ーーDJとしては全国各地のイベントに呼ばれたり「DJcity Japan」というDJのための音楽配信サービス内でもミュージック・アドバイザーとして活躍されるなど、とにかく活動が多種多様ですね
DJcityでは月に一回出すMIX制作を5年やっています。それを毎回mixcloudというアプリにもアップしているんだけど、一回消されちゃったんだよね。
ーーえっ。どうしてですか?
再生回数が上がりすぎてらしい。
ーーもはや事件というより伝説じゃないですか・・・!
そこはちょっと自慢したい(笑)
でもどこへ行っても自分のMIXを聴いている人がいて「毎月聞いてます!」って言ってもらえることが励みになってるね。
LAヘ単身留学した若き日、そして意外な過去
ーーやはりDJとしてのキャリアが一番長いですか?
そうだね、高2からだからね。当時、学校の先生も俺がDJをやっていたのは知っていて。
で、自分では「卒業したら海外行く」っていうのは決めてたのよ。
ーーそれは音楽の勉強をしに?
そう、自分が掛けてた音楽がUSの音楽だったし、DJ続けるなら一回アメリカ行ってこよう、みたいな。
だから進路どうするって話しになった時にもその意思は伝えて、学生ビザとか、そういうのは全部自分でやるし迷惑かけないから放っておいてください、ってことで高校生活は自由にやってたかな(笑)
ーーでは実際に卒業後はアメリカへ?
そう、単身でLA(ロサンゼルス)に2年間行きました。レコード買いまくったり、クラブ見に行ったり、とにかく「今を生きる」的な感じだった。
で、2年後に帰って来た理由っていうのも「LAに飽きた」って理由なの。本当は5年くらい居る予定だったんだけどね、、、
20歳過ぎの俺はLAに飽きたんだね。毎日同じことの繰り返しに飽きたというか。
ーーLAに飽きる!?そんなセリフ言ってみたい・・・。
帰国してからは、求人誌に載っている給料が一番高い仕事に行こうと思ってね。
そしたら「給与 月35万」って書いてある証券会社の営業の求人があるのよ。
株とかよく知らなかったけど「稼げそう」って理由で半年くらい働いたね(笑)
で、そこを辞めてからは不動産にも興味があったんで宅建(宅地建物取引主任者)の資格を取りましたね。
ーそんなお若い時から不動産にも興味があったんですか!?
親戚に不動産業をやっている人がいて、そこの事務所で小さい頃よく遊んでたの。
その時から「人を助けたり感謝される仕事なんだなぁ、楽しそうな仕事だな」と思ってた。
しかも「儲かるぞ」みたいな話も聞かされてたから(笑)
人を助けてしかも儲かるって、そんなヒーローみたいな仕事ないでしょ?
それで実際に不動産会社で5年くらい勤めたかな。
あと内装業は、父親の会社に入って、新しく不動産部門のある会社を独立して・・・っていう感じです。
ーー意外なキャリアは20代の頃から積み重ねてきたものだったんですね
「こうなろう!」と深く考えたことはなくて「こうなっちゃった」って感じかな。
それらと並行しながら、モナークの立ち上げもやったりなんかして。
ーー昼も夜も働いて・・・ぶっちゃけ当時も今も含め、忙しくなかったですか?
確かに忙しいけどね・・・まだ全然大丈夫!
どれも自分のペースでやれるビジネスばっかりだったから、ストレスは全然ないよ。自分でこの状況を選んでやってるわけだからね!
DJ×ビジネスマン、二面性を持つ人生とは
ーー勝手なイメージですが「俺はDJでビックマネー掴んでやるぜ!」みたいなイメージがありました
そういうのは全然ないんだよなぁ。DJはDJ、不動産は不動産、みたいな感じ。
ーーミスターの中でDJは「仕事」という感覚ですか?
仕事だねー。”クラブでDJやっている”と聞くとあまり仕事のように感じないけど、お金もらってやることは「仕事」。
呼んでもらっている分、売り上げに貢献してお返ししたいなと思うし、お客さんがリピーターになるために盛り上げるのが役目であり仕事だよね。
ちなみに今は、主に札幌のKING XMHU(キングムー)で週末回してます。
ーーそもそも今、札幌で主にDJをやっている理由って何なのでしょう?
例えば東京へ行った時に「地元どこ?」と聞かれたら「北海道」ってみんな答えるんだよ。
でも北海道=札幌、っていうイメージが強いでしょ?
旭川ももちろん大事だけど、北海道で活躍してるんだ、と言うにはやっぱり札幌での活動も必要かな、と。
「北海道が地元です」と答えられるように”レペゼン北海道”に切り替えたというかね。
ーーなるほど。ちなみに手応えはいかがですか?
イベントの企画をするようになったりして、深く関われていると思うよ。
こうやって最近、小さくやっていた仕事がどんどん大きくなってきて、ただの点だったもの同士が繋がって線になってきているんだよね。
ーーと言いますと?
例えば、同級生のコミュニティやDJのコミュニティ、「橋本」として俺を知っていたコミュニティ同士が「彼のこと知ってるの?」って繋がり始めたの。
一見まったく交わらなさそうな同士がね。ただ、昼間の顔しか知らない人からしたら
「え?なにこいつ『ミスター』って呼ばれてるの?」ってなるじゃん?
ーー確かに知らない人からすると不思議な呼び名ですよね・・・
しかもはじめから「不動産やりながらDJやってる」って自分で言うと「こいつめっちゃチャラいな~」って思われるじゃん?
ーーそれは相当チャラいです・・・(笑)
だから昔は不動産をやっている「橋本さん」の時は、DJのことをあまり言わないようにしてたんだよね。
逆にモナークを始めた頃は「昼間は何してるんですか?」って聞かれても「寝てるねー」って答えたり。
その方がちょっとかっこいいと思ってたんだよね、昼間はなんもしてないっていう破天荒な感じ(笑)
でも自分の仕事が大きくなっていくにあたって、コミュニティ同士が繋がって、それぞれの仕事にいい影響が出てきたの。
ーー輪が大きくなればそれだけ他とリンクする部分が増えますもんね!
さんろく祭りのディスコナイトなんて、あれぞまさしく僕が近年やっている仕事の集大成なんだよね、たまたまなんだけど。
ーー旭川のあの一大イベントですね?
自分がDJとして回しているところへ、ヴォレアスの選手たちがステージに上がってきて、リマックスのチームもステージでフラッグを振って、しかもキングムーが協賛してくれたおかげでお客さんには光る棒が配られていて・・・と。
後日写真を見たら「これ自分の仕事、全部集まったな」と。
全てが繋がった感じが嬉しくて「やってて良かったな」と思いましたね。
ーーそうだったんですね!ホームに囲まれてのプレイであったと
そうそう。ありがたいことに自分を知ってくれている人が多いおかげで、そういう恩恵がある。
ーーしかもお客さんの人数も物凄いですし
人数規模で言えば、あれが一番大きい舞台と言っても過言ではないね。
ーー活動のフィールドが広がっても旭川のステージには思い入れを持っていただいているんですね!
それはもちろん!
だからいろんな顔があることを一つの個性だと思うようにして、最近は「実は昼間こういうことをやってるんだよね」って話したりだとか、逆ももちろんある。
そしたら覚えてもらえるしね。
どちらの仕事も決して適当にやっているわけでなく、自信を持って言える仕事だから今は非常にバランスよくやれてるかな、と思います。
ーー昨今、DJも含め「職業」として確立されてきたものが多い中、それを仕事にしながらも漠然たる将来への不安を抱えている方が結構多いのではないかと思うんです。実際にミスターはどうでしたか?
そうだよねー。
でも俺は別に「DJはDJだけやってないとダメ、他の仕事もしていたらカッコ悪い」みたいには思わないんだよね。
むしろ「お金ない方がDJやるの辛くない?」って。
だから俺は昔からDJ以外の仕事も持っているスタイルだった。
みんな、お金の出どころとか裏側って隠したがるでしょ?でもそういう生活感も含めてDJでいいんじゃないかと思うんだよ。
別にDJだけで稼げてるからどう、とかそんな時代じゃないし。そういう意味では良い意味で力の抜けた状態で色々やれてるね。
DJ、そしてクラブオーナーへ、そこに隠された苦悩とは?
ーーモナークを立ち上げたのはいくつの時だったんですか?
30歳頃の夏ですねー。移転する前の場所では7年間くらいやって、そして今の新しい場所に移ってます。
今までいろんなイベントをやってきたんだけど、やっぱり好きなことだけやろうかなってなってきてね。
そう考えると箱が広すぎた。で、小さい箱を探し始めて、今の場所に辿り着いた感じです。
ーーモナークを始めたのはDJの延長にあったものなんですか?
完全にそうだね。自分の思うようなイベントに呼ばれないことが多くて「それなら自分でイベント作っちゃおう」と。
そして「もっとこうしたい、もっといい環境で回したい」と思った結果、人から借りた場所じゃダメだなと思ってね。
人生1回だし、やってみるかなと。
ーーそれにしてもクラブオーナー・DJという役割がありつつ、クラブイベントだと終わるのは朝4時や5時。でも並行して昼間も仕事をしていたと・・・。寝る時間、あったんですか?
確かに平日は、基本的に朝から仕事してたしねー。
でも自分で事業をやっていたから融通が効いたというのもあるけど、今日は忙しくて寝れないなって時があっても「明後日寝ればいいか」みたいな感じだった。
本当に疲れた時は午後から出たりとか、その辺のコントロールはしてたけどね(笑)
ーー全てを冷静に淡々とこなしていたように聞こえますが、普通はそんなに幾つものことをスマートにこなせないのでは・・・
まぁ人に言われてやってるわけじゃなく、全部自分で決めてやってたことだからね!
でも昼間の仕事を隠してた時は「毎日パーティーして金儲けしてる!」みたいに思われてたからねぇ。
これ、もっといろんな人に自慢した方がいいかな(笑)
ーーそんな止まらない男「ミスター」がモナーク然り、DJをやっていてつらかったことってありますか?
DJをやっていてつらいってことは1回もないな。
ただ、客層は基本的に変わらないから、周りが若くなって自分は年取っていくわけじゃん。
だから「センスのギャップがある」ということは自覚しなきゃなーっていうのはあるかな。
かと言ってお客さんに寄せすぎるのもナンセンス。
だから更に音楽を聞いて若い子も黙らせるハイセンスをより磨こうって思えるね。
正直若い子の流行りの曲に合わすのは簡単、でも「この曲、俺は掛けられないなぁ・・・」っていう曲やジャンルもある。
だから「これに似たもっといい曲はないかな?」って探しながらやっていくのがまた楽しいね。
ーーあくまでも「DJ Mr.SYN」の根っこは残しつつ、周りに合わせてフロアを盛り上げる、と
そうだね。ただEDMブームがドンッときた時はあまりに自分が回すジャンルと違いすぎて正直つらかったね(笑)
ーー理解できない、みたいな?
「掛けなきゃいけないけど正直自分では良いと思ってない、でも掛けなきゃいけない・・・」っていう葛藤ね。EDMに代わる曲がなかった。
ーー好きな事と流行りが交わっていない状態?
そうそう。その辺はつらかったなー。
ーー今でこそEDMブームは落ち着きましたが、実際にその時はどういうスタイルだったんですか?
極力、自分のDJセットの尺を長くもらうようにお願いしたね。
ーー自分が本当に流したい曲と流行曲とをミックスさせるためですか
そうだね。自分が好きな曲だけでもダメだし、お客さんに寄せすぎてもダメだし、そのバランスは常に意識してやってたね。
ちなみに今はヒップホップの流行りがまたキテる。
昔のヒップホップとは、リズムの取り方からリリックで伝えていることも全然違う、別物みたいなヒップホップだけどね。
ーーとなるとEDM文化の時よりやりやすいのでは?
自分のど真ん中のジャンルだから、めちゃくちゃやりやすいですね。
ぶっちゃけEDMでDJをやる・音を繋ぐっていうのは簡単なんだよね。。。
だからEDMブームからDJを始めた人は、違うブームが来ると応用ができてないなって感じるな。
ーー確かにあの時期、芸能人なんかもDJやる人が一気に増えましたよね・・・
そうそう、まさにそれ!だからその頃EDMで簡単にDJを始めた子たちは、ほとんどDJ辞めちゃってるんじゃないかなぁ。
俺的には時代が回ってきたな!って思うけど(笑)
ーーということは”本物”が炙り出される時代が帰ってきたのでは?
そうだねー。そうゆう時代になって欲しいよね本当に。
それこそあの時に元々良いプレイをしていたDJも辞めちゃったからね。
ーーEDMブームで淘汰されてしまった?
そうそうそう。ただその辺も俺はDJだけが仕事じゃなかったから余裕があったかもね。
「ダメだったらダメでもういいやー、嫌なイベントなら別に出なくてもいいかな」みたいな(笑)
DJだけの人は尚更きつかっただろうね。
彼を突き動かす原動力とは
ーーそのひたすらに突き進む原動力って何なのでしょう?何か設定していた目標があったとか?
とにかく始めたことは続けようと思ったのね。とりあえずなんでもそうなんだけど、一回始めたら二年はやってみようと。
DJやモナーク始めたのも、今のお店始めたのも、全部そう思って始めてるから、とにかく止まらずにやってるね。
ーーまずは二年が勝負?
そう、一年やったらまずはだいたい要領わかるじゃん。忙しい時期とかも分かるし改善できるわけ。
でもそれでダメだったら、あとはセンスの問題になるのかな、って
だけど今の若い子は、物事を始めるのが何でも簡単になってきてるじゃない?
ーーそうですね、情報過多でやろうと思えばなんでもできちゃう時代ではありますよね
そうそう、だけどその先の「続ける」ということが実はいちばん難しい。
でも続けてたら悪いことはないんじゃないかなって思うんだよね。良いことがあるかどうかは分からないけど、悪いことではないんじゃないかなって。
ーー続けることで見えてくることがある?
そう、それがいちばん大変なんだけどね。でも辞めるのも簡単だからね。
そして辞めた後にまた再開することはできるけど、それってまたさらに大変なことなのよ。
それならまずは「やりきる」というか「二年やる」と決めたら2年やる、歩むスピードは別としてね!
この先のビジョン
ーー最近はヴォレアス北海道のオフィシャルDJという顔もありますね
ヴォレアス北海道の社長から「旭川で何かやりたい、バレーボールチームを作って旭川を盛り上げたい」という話をチーム発足前から聞いていたんです。
北海道を盛り上げたいという思いは同じなので賛同して、オフィシャルDJとして関わっていくことになったのがきっかけです。
今は試合中の音楽なんかもプロデュースさせてもらっているから、規約とか難しい部分もあるけど楽しいですね。
ちなみに今まで試合中に音楽って流せなかったんだけど、今年から音楽流せるようになったんだよね。
バレーボール界全体のルールが変わったみたい。
ーーそれって間違いなくヴォレアス北海道にオフィシャルDJが就いた影響では!?
だからこれからまた更に面白いことができそうだなーって考えてる。やっぱり淡々と試合だけを見る、というのはお客さんにとっては寂しいからね。
総合的なエンターテイメントとして考えてるのはヴォレアスの社長も俺も一緒。
クラブや音楽もそうなんだけど、お店になにか一工夫がないと、他と差別化は出来ないんだよね。
だから何においても総合的な演出というのは必ず要る。
飲食店にしても美味しいのは当たり前で絶対条件だから、そこからさらにもう一工夫ないとね!
ーーとすると不動産業などにもそのノウハウが活きてくることってありますか?
もちろん活きるよ。
例えば住宅関連のイベントでうちわを作る・新聞に広告を載せる、という仕事一つでも「ただ作れば、ただ載せればお客さんが来る」と思っている古い会社はまだまだある。
でもそういう時にイベント作りをしてきた自分の集客ノウハウだったりが活きてくるなーと思うね。
ここでも点と点同士が繋がって線になってくるんだよ、自分のノウハウや知識がまた新しい仕事に活かされる。
クラブでやってきたことがまさかの不動産業で活かされる。意外でしょ?
ーーまさかそんな場面で活きてくるとは思わないですね
でも結局そういうことの繰り返しだね、リフォーム(内装)・不動産・DJ・お店っていう4つも軸を持ってれば。
ーー次に企んでる事とかってありますか?
そうだなぁ・・・言っちゃったらまずいなぁ・・・
ーーシークレット情報ですか!?
でも結局、周りにかなり助けられてるんだよ。だから関わってくれている人をよりハッピーにできるように頑張りたいなって思ってる。
そうじゃなきゃ、やり甲斐ないでしょ!
ーーそれはやはりオーガナイザーとしてイベントを手がけてきたからこその精神?
そうそう、人の喜ぶ顔が見たいよね。
ーー不動産の話しもそうでしたけど、第一に人を喜ばせたいというのが根底にあるんですね
それが原動力でもあるからね。
しかも「アーティストだから音楽活動だけ」というよりかは他の仕事での成果がDJにも活かせるおかげで、人間関係も発想的なことも広がるし。
それ「だけ」という世界で生きていたら、とても狭いコミュニティでしか生きられなくなっちゃうんだよね。
クラブだとかその界隈では有名になれるかもしれないけど、世間に出れば誰も自分のことを知らない状況に置かれるわけだから。
それよりはいろんなことをたくさんやって、自分の世界や関わるコミュニティをどんどん広げていくといいんじゃないかなと思います。
ーーなんだか・・・人生楽しそうで羨ましいです・・・
やりたいことが出来ているって嬉しいよね、成功するかどうかはわからないけど、やりたいことが出来ている人生は楽しいよ。
ーーもしかしてまだ「成功者」、ではないと・・・?
まぁあまりその辺は意識してないからね。とにかくやりたいことがいっぱいあるだけ!
ーーこれだけ色々やられていても、まだやりたいことがたくさんあるんですか!?
うーん、まだ・・・そうだね、あるな。
ーーまだ夢の途中?
そうだね。
今の自分にとっては、不動産とヤミーズダイナーがまだ始めたばかりのことで「頑張らなきゃな」って思っていることでもあるから。
ーーずばり人生のライフミッションは?
関わる人たちを楽しませることかな。あとは「人にとって自慢できる友達になりたいな」って。
「俺の友達にすげー奴いるよっ!」って言われるようになったら嬉しいよね。
若い世代へ思うこと
ーーミスターのようになりたい!と思っている人はどうしたらミスターになれるのでしょう?
あはは(笑)DJとして言うなら技術は好きなことなら上がっていくし、それは最低限度やらなきゃいけないことだよね。
表に出て行くのなら「上手くなきゃいけない」のよ。
でも人より頭一つ抜きん出たいなら「人と違ったことをやれ」って俺なら言うね。
結局同じことで競い合っても上には上がいる。それで飯食って生きたいんなら、他の人がやっていないこと・できないことを続ける。
例えば俺は若い頃、流行っている曲は掛けなかったんだよね。DJってみんな、流行ってる曲を掛けたがるの。
でも流行りの曲は誰かしらどうせ掛けるだろう、と思って掛けなかった。
そうやって上手く「外して」いくというかね。
誰もしないことを更にカッコよく仕上げるのが自分のオリジナリティを出せるポイントかな。
あとはやっぱり続けていくこと。それによって仕事が舞い込んでくるきっかけになるからね。
ーー他の仕事面ではどうですか?付き合い方というか
そうだね・・・今の時代に「気合と根性」とか言ったら嫌われそうだしなぁ。
ーー意外に泥臭い!(笑)
ただ個人的には良くも悪くもバランスを考えてしまう方だからなぁ・・・。
でも若い子に「バランスを取りなさい」って言う方が難しいでしょ?そのアドバイスのせいで消極的になってしまったらもったいないなって。
でもやっぱりここでも「人と違うことをすること」じゃない?
で、結果「気合と根性」だな・・・
ーーもっと難しい答えが返ってくるかと思いました(笑)
例えば学生時代にDJやってて「就職したからDJやめます」って子がいるんだけど、そういう人たちって本当にそれが好きじゃなかった可能性あるよね。
だって本当に好きなことって、どれだけ疲れててもやるじゃん。
それでやらないってことは、遅かれ早かれ続けられなかったってことなんじゃないかなと思うんだよね。
っていうか生きるために仕事はしなきゃいけないじゃない?でもそれで辞めるんなら・・・そもそもDJ無理じゃない?っていう。
忙しくたって眠たくたって、俺は朝までクラブにいたことたくさんあるからね。
ーーそれこそ気合と根性で?
そうそう。それくらい好きだったし、寝不足なんて仕方ないなって思えた。朝早いんだったらお酒は飲まなきゃいいし、それは自分のコントロールじゃん。
いきなり今日「朝までいなさい」って話しじゃなく、大概は前もって決まってるんだからさ。
そういうスケジュール管理も大事にしてこそ、仕事も好きなこともみんなには楽しんで欲しいですね。
ーーでは最後に夢を追っているSPICE読者の皆さんへメッセージをお願いします!
結果を出すために頑張るのが人生、でもいきなり結果は出ない。
だからこそ過程を楽しんで、楽しんだからこそ先ほど話したように「続けること」ができると思う。
その先にやっと結果があると思うので、とにかくやれ!楽しめ!ってことですね。
国が副業を認めたり、働き方改革に動いたり、と「人が働き、そして夢を追うこと」への後押しがやっと具現化してきた昨今。
ミスターのように様々な顔を持つビジネスマン、そして好きなことも仕事として並行しながら生きていく人がさらに多くなるのではないでしょうか?
そんな方たちにとっての教科書になるようなミスターの生き方。
これからもさらなるご活躍をお祈りしています!
あとがき(余談)
ーーそういえばミスターってなぜ「ミスター」なんですか?
俺、高校生の時は「DJ SYN」だったの。
ーーえ?じゃあ・・・いつから・・・?
アメリカから帰ってきた時。
(一同)あぁー!!!
同級生の連中から「アメリカに住んでたんでしょ?ならミスターシン」じゃんと。アメリカイジり。
そういう茶化しが始まりだったんだけど、でもそれ面白いなと思って。
ーーそういうことだったんですか(笑)
カタカナにするとちょっとダサいけどね!しかも自己紹介するにも「はじめまして、ミスターシンです」って自分で言わなきゃいけないじゃん。
「なにこいつ?」ってなるでしょ?だからなかなか慣れなかったよ(笑)
でもあだ名が今までなかったから、みんながそう呼んでくれるならいいかな、っていう軽いノリだったね。
今ではそれが立派な通り名になってます。
・・・というまさかの裏話でした♪
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